西宮市在住の坂本恭子さんからのメッセージ
選挙にいこう
投票したい人をみつけよう
自分のできる一歩を信じよう
生きづらさをぶつけるのは権力者に
自分のいっぽが何かをかえるという積み重ね
すぐに変わらなくて落ち込んでも、
自分の体験が誰かの体験とつながる経験の積み重ねを
こんにちは。
市民、女性の目線で、今日は安田さんに期待する思いをお話したいと思います。西宮市在住の坂本恭子です。
ただの市民がマイクもってこんなとこではなさへんやろって、近くの友人にはつっこまれながら来ましたが、東日本大震災をきっかけに、政治って自分の生活とつながってるんだと気づき、それまでは政治がとても遠く、知ろうともしなかったし、避けたかったし、タブーだった、多くの市民のひとりでした。
3年前の参院選では、安保関連法に反対するママの会に加わり、憲法改正に危機感を覚えマイクをもって自分の思いを発言しはじめました。
しかし選挙は思った結果には遠くおよばず、不安や緊張で心身ともに消耗したことも加わって、3年前は結構落ち込みました。
けど、なにも変わらなかったわけではなく、心身の回復とともに、身近なところで政治のことを話せる人が片手から両手以上には増えてるなーとか自分の思いや経験、生きづらさは、誰かのものと重なってるなー、ああこれが「個人的なことは政治的なこと」の意味なんだと言葉のひとつひとつを肌身で実感する、という私自身の大きな変化にはなりました。
この個人的なしんどさを誰かに話すこと、それが多くの社会の課題につながっていると実感すること、これが多くの人に経験してほしいと思っていることです。
安田さんのインタビューを読んで同じだなと思ったのですが、東日本大震災、それに続く原発事故での政府の対応が、私自身の政治に対する視点を変える大きな転換点でした。
私たちは小さいころから、平和教育という名のもと、日本の戦争被害を学び続けていますが「緊急時には、国家は国民を守らない」このことが福島の人をみて実感としてわかったのでした。
当時、娘たちは小学生と幼稚園でしたが、この、ひとりひとりの人権が軽んじられているように見える今の社会が彼女たちの未来にも続いていてはいけないその思いが、政治に目を向けさせてくれました。
私は怒らなそう、とよく言われるのですが、たぶん穏やかで、怒らないほうだと思うのですが、それは私の個性かもしれないし自分の意見を言うよりも協調することを教育現場で教えられてきたからかもしれないし、女性として、いつも微笑んで、まわりの空気をよみとることを社会から求められていたからかもしれません。
ですが、私は、東日本大震災を機に、権力者を見張り、怒りを向けることを覚えました。
今は社会の格差を生み、私たちを分断し、政治に目を向けるエネルギーをうばう政治にいつも怒っています。
今の社会は、安田さんのインタビューのキーワードにもあり、私の実感と重なると共感したのですが、「分断」「不寛容」が蔓延しています。
それは、日常生活、人とのつながりのなかで、実感します。
そして、自分たちの生きづらさが、権力者や政治、社会構造への批判ではなく、市民同士への怒り、批判に向かっています。
私たちは、自分たちの一歩が社会や制度を変えるという経験をあまりにも積んでいないし、教わってきていません。
もっと自分たちの生きづらさを話していいしもっと聞いてもらわないといけないし、自分や誰かに我慢を強制しなくてもいいし
もっと人とつながって政治や社会制度に怒りをぶつけたらいいと今はいつも思っています。
今、ここでこうして話せるというのは、私には自分の生きづらさを話せる場があって聞いてくれる人がいて、だれかとつながって社会に発言する経験を積み重ねてきている、その環境にあるからです。
それは自分自身が踏み出して、自分自身でつかみ取った一歩でもあるのですが、それだけではないことも気づいています。
さきほども言ったように、気づいた時には分断され、社会の不寛容を浴び続け、だれかとつながるエネルギーを奪われている、
そういう環境に置かれているひともたくさんたくさんいるわけです。
政治家には、つながれない、一歩をふみだせない、声をあげる術をしらない、そのたくさんの人たちの声をすくいあげ、環境や社会制度を変えていくために、権力者にたちむかってほしい、そう思っています。
安田さんがアナウンサーの立場でも権力を批判する発言をされてきたこと、今回インタビューなどを読んで知りました。
掲げる政策の中の暮らしや経済のこと個人の尊重、平和や立憲主義、環境のことどれもとても共感できました。
女性の政治家も増えてほしい。
いち市民として、安田さんを応援したいと思っています。
がんばってください。
©Yasuda Mari 2019